正徳度朝鮮通信使の待遇改定 <歴史・朝鮮通信使・外交 >
正徳期には待遇の簡素化と将軍呼称の変更がされた。
この制度改定は新井白石の主導によるものだが、これは従来の饗応、待遇を全面的に変更するものであり、結果として日朝間の外交摩擦に発展する。
通信使接遇には一度に約100万両かかるものであり、もともと白石は来日招聘そのものに反対であった点が注目される。
しかし当時の老中首座土屋政直が従来どおり来日を招聘すべしと異論を挟んだため、白石も折れた経緯がある。
そこで、白石は、「対等」「簡素」「和親」を骨子として、まず待遇を簡素化し、対馬から江戸の間で宴席は赤間関、鞆の浦、大坂、京都、名古屋、駿府の6ヶ所に限定し、他の宿所では食料の提供にとどめることとし、接待には通過する各藩の藩主が出向かずともよいことにした。
接待に使用する小道具も蒔絵の塗り膳や陶磁器の高価なものは厳禁した。
これらの努力により接待費用を60万両に抑える一方、将軍呼称を再び日本国王に変更した。
この変更の理由としては江戸時代も安定期に向かい、将軍の国内的地位が幕初の覇者的性格から実質的に君主的性格に移行した
この制度改定は新井白石の主導によるものだが、これは従来の饗応、待遇を全面的に変更するものであり、結果として日朝間の外交摩擦に発展する。
通信使接遇には一度に約100万両かかるものであり、もともと白石は来日招聘そのものに反対であった点が注目される。
しかし当時の老中首座土屋政直が従来どおり来日を招聘すべしと異論を挟んだため、白石も折れた経緯がある。
そこで、白石は、「対等」「簡素」「和親」を骨子として、まず待遇を簡素化し、対馬から江戸の間で宴席は赤間関、鞆の浦、大坂、京都、名古屋、駿府の6ヶ所に限定し、他の宿所では食料の提供にとどめることとし、接待には通過する各藩の藩主が出向かずともよいことにした。
接待に使用する小道具も蒔絵の塗り膳や陶磁器の高価なものは厳禁した。
これらの努力により接待費用を60万両に抑える一方、将軍呼称を再び日本国王に変更した。
この変更の理由としては江戸時代も安定期に向かい、将軍の国内的地位が幕初の覇者的性格から実質的に君主的性格に移行した
update:2010年03月09日
